

今回はこのブログで活躍している、ピーコのモデルになったセキセイインコについてお話します



天国から見てくれているといいな



毎日大好きなものをいっぱい食べながら、たくさんおしゃべりしてるんじゃないかな
ピーコとの出会い
ピーコとの出会いは20年以上前。
小学2年生のクリスマスでした。
朝起きたら枕元に穴のあいた小さなダンボール箱が置かれていたんです。
サンタクロースからのプレゼントでした。
セキセイインコについて全く知識がありませんでしたが、木屑にうずくまっている姿が本当に可愛くて。
「しっかりと育てなきゃ!」と決意したのを覚えています。
それから毎日、お湯でやわらかくしたエサを数時間置きにあげていました。
冬休みじゃなかったらどうしていたんだろうと、今になって思います。



小学生でしたが、赤ちゃんインコを育てるのに必死に頑張っていました



赤ちゃんのときは短い間隔でいっぱい食べるんだよね
いつも一緒にいる大切なパートナーに
赤ちゃんの期間は本当に短く、すぐに飛ぶ練習をするようになりました。
でも、ピーコは約12年間、ほとんど飛ぶことはありませんでした。
若い頃に羽を怪我してしまったんです。
だから、いつもトコトコ走って移動し、高いところにはクチバシと足を使ってよじ登っていました。
──そんなピーコの定位置は、ぼくの右肩。
カゴから出るとすぐに右肩に移動していました。
挨拶は独特で、家に帰ってピーコを見るたびに右手をあげて「よっ」って挨拶していたら、ピーコも顔を見るたびに「よっ」って言うように(笑)
友達の挨拶のようで大好きでした。
学校から帰ったらすぐにカゴから出して、一緒におしゃべりしたり、ゲームしたりして過ごしていました。
音が出るものが好きだったので、ゲームをしているときはテレビにつないでいるコードの上に乗って音を聞いていましたね。
だからゲームで覚えた言葉をしゃべることもありました(笑)
学校から帰ったら、文字通り本当にいつも一緒にいたんです。



肩でおしゃべりしているのを聞くのが日課でした
ピーコとのお別れ
ぼくが大学進学をきっかけに上京したため、ピーコと毎日一緒に過ごすことができなくなりました。
でもいつも気になっていたので、電話をかけては様子を聞いていたのを覚えています。
長期休みはもちろん帰って一緒に過ごしていました。
そんな日々が続いていましたが、10歳を超えたころから体力がなくなっていき、いつも床で寝るようになりました。
次第に活動時間が短くなっていくのはとても悲しかったです。
少しでも長生きして欲しいといつも願っていました。
──そしてお別れの日がくることになります。
当時、この世界には「不思議な力があるんだな」と実感したことがありました。
東京から夜行バスで帰郷していたのですが、バスが到着する数時間前、明け方頃にピーコがすごく騒いでいたのだそうです。
いつもは床でべったり寝ているのに、その日は元気に騒いでいたと。
きっとぼくが近づいていることを察知したのだと思います。
そして1週間ほど一緒に過ごし、大学の講義を受けるために再度上京。
その2日後にピーコが冷たくなっているとの連絡がはいりました。
本当に悲しく、しばらく大学に行けなかったのを覚えています。
お別れの時期が近いことは察していたのですが、それでも我慢できませんでした。
でも、最後に一緒に過ごせて良かったと思います。
タイミングを考えると、最後にぼくに会ってから天国に旅立とうとしていたのかな、とも思います。
今でもピーコのことを想うと、すぐに涙が出てしまいそうになります。



きっとDiceにお別れを言うために待っていたんだよ
さいごに
ピーコと過ごした日々はぼくの宝物です。
ピーコからはたくさんのことを学びました。
ピーコのことは一生忘れることはありません。
これからも心の中でずっと大切にしていこうと思います
──すでにお話しした通り、このブログ「World Tree」に登場するピーコのモデルは、当時飼っていたセキセイインコのピーコです。
これから一緒にこのブログを育てていければ、歩んでいければと思います。



ピーちゃん、これからもよろしくね



World Treeを大きくしていけるように頑張るよ!